2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

4月からまともな本屋あるいは図書館に行けないのでは疑惑があるので,今のうちに読んでおきたい本を読むということをやろうとしている。 都甲幸治の『生き延びるための世界文学』を一つの指針にしようと思ったらこの中の本はほぼすべて未訳である。 生き延び…

合格体験記

合格体験記っぽいのを書いた。 ・学習スケジュール 本格的に勉強を始めたのは4年次の2月でした。まず教職教養の参考書を5回ほど通して読み,そのまま覚えるということをしました。ある程度覚えた後,何度か問題を解き,覚えていない部分をつぶしていきました…

口頭試問

今日口頭試問があった。そこでの議論を,以下にまとめる。 1.論文の目的と論文の構成がずれている。 実際に,最初の興味と最後の興味がかなりかけ離れていたにもかかわらず,どのように構成し直せば良いか最後まで明確にならずにそのまま提出していた。 具体…

常識・習慣の自己啓発

常識や習慣の力は恐ろしい。 常識は,意識もできあがってないころにたった一度起こったことを覚えることで作られる。 習慣は,何度も何度も繰り返して作られる。 常識や習慣を疑うことはできる。何かを学ぶということは,常識・習慣を作ることではなく,まず…

自然主義と常識,「ありのまま」アイデンティティ

・国語教育における読方教育が自然主義的な「ありのまま」を基に理論化された(垣内松三)のと同様に,その時代の作文も自然主義的な価値観が導入されていた。形式から内容へという流れも同様である。 「いい文章」ってなんだ? 入試作文・小論文の思想 (ちく…

ハウスオブカード②

ハウスオブカードを一気見した。その面白さを2点挙げる。 共感のできない友人であり師・フランク (I have no patience for useless things.) シーズン1の途中まではこう考えていた。 フランクはいかれてるし,完全に共感できない悪である。でもそこが爽快…

「シニフィアンのかたち」読書メモ⑧

ポストモダニズム世界 マイケルズは,ポストモダニズムを正しく批判している。ポストモダニズムにおける多文化主義の中の1つの文化を提出するのではなく(つまりポストモダニズムの代替案を提出するのではなく),単に批判している。ポストモダニズムの論理…

「シニフィアンのかたち」読書メモ⑦

⚫︎奴隷制の補償とアイデンティティ 黒人の奴隷制が、現在の黒人に対して不利益を与えているので、補償すべきだとする考え方がある。これもアイデンティティと強く結びついている。 補償をしても、ある程度貧困は残ってしまうと、誰もが考えるだろう。貧困が…

「シニフィアンのかたち」読書メモ⑥

「第三章 歴史主義」は,前半は歴史もテクストではなく,「しるし」(が生み出す経験=「記憶」)へと還元され,ポスト歴史主義の社会に利用されていることを論述されている。後半は,その世界における代替案として提出されている論(性愛など)も,ポスト歴…

ハウスオブカード

ハウスオブカードを一気見している。 ハウスオブカード(とりあえずシーズン1)の面白いところは,ケヴィン・スペイシーが最終話の一つ前になってようやく自分も騙される可能性があることに気付くことである。 それまでは,あらゆる事象を操り,その態度を示…

「シニフィアンのかたち」読書メモ⑤

すべてがテクストだし,と同時にテクストはない ポール・ド・マンは意図的な物体と自然な物体とを分別し,テクストは意図的な物体だと言った(『盲目と洞察』)後,テクストは自然な物体であると言った(『読むことのアレゴリー』)。 ド・マンのこの表明は…

「シニフィアンのかたち」読書メモ④

冷戦の世界 1960年代に,モダニズム絵画とミニマリズム絵画の間で論争が起こった。ウォルター・ベン・マイケルズは,これを「物質性」(あるいは「かたち」)に引き寄せて解説している。どうやら,この論争が今まで見てきた「第一章 ポスト歴史主義」の議論…

「シニフィアンのかたち」読書メモ③〜ポストモダニズム世界の言語から,「反理論」についてまで〜

ポストモダニズム世界の言語 テクストのない世界,テクストの解釈が存在しない世界(テクストではなく情報の世界と言ってもよいかもしれない)という幻想こそが,ポストモダニズムもしくはポスト歴史主義の完成型の本質的な要素であると私はかんがえる。(p1…

「シニフィアンのかたち」読書メモ②〜多文化主義からシニフィアンのかたちまで〜

ウォルター・ベン・マイケルズの論述の仕方 論述の方向がある程度わかっていれば,あるいは予測すれば,どんなに複雑な論理展開でも安心して読んでいられる。例えば,イーグルトンが示した冷戦以降の世界(あるいは冷戦以前も文学理論が用意していた事態)を…

ウォルター・ベン・マイケルズ(2006) 「シニフィアンのかたち 一九六七年から歴史の終わりまで」読書メモ①

イーグルトンあるいは理論の後に ポストモダニズムの世界をもっと過激に劇画化したものに、ウォルター・ベン・マイケルズの『シニフィアンのかたち』がある。マイケルズは、ポストモダニズムが本質主義か反本質主義であるかにかかわらず、イデオロギーではな…

「文学とは何か」読書メモ④ 新版あとがきについて

ポストモダン性とポストモダニズム イーグルトンは,ポストモダニズムについて多くの頁を割いている。例えばポストモダン性とポストモダニズムを説明している。 ポストモダン性は,近代性(大きな物語)の終焉を意味する。あるのはただ,「多種多様な文化と…

「文学とは何か」読書メモ③ 政治的批評について

社会主義批評とフェミニズム批評について触れない訳 イーグルトンはこれまでの章で社会主義的な考えやフェミニズム的な考えについて解説してきた。精神分析批評の章では,精神分析を社会主義的に可能性を引き伸ばすこと,またフェミニズムからどのように批判…

「文学とは何か」読書メモ② 精神分析批評について

「〜である」ことと主体性 私は人より長いモラトリアム期間を過ごしている。教員になるために2つ目の大学に通っている。これは私個人の能力ではなく,私の家族の多様性受容能力の高さあるいは経済的豊かさに起因する。これらがなければ,私は今の道を選ぶこ…

「文学とは何か」読書メモ

●「文学とは何か」を読む意義 イーグルトンの「文学とは何か」は,大正期国語教育の理論を批判する上で示唆を与えてくれる。大正期国語教育は文学界から自然主義や解釈学の遺産を受け継いだ。イーグルトンはその自然主義や解釈学を批判している。 例えば,解…