ハウスオブカード

 ハウスオブカードを一気見している。

 ハウスオブカード(とりあえずシーズン1)の面白いところは,ケヴィン・スペイシーが最終話の一つ前になってようやく自分も騙される可能性があることに気付くことである。

 それまでは,あらゆる事象を操り,その態度を示してきた。つまり,交渉におけるテーブルの”こちら側”に常に身を置いてきた。それは,ダグなどを使ってあらゆる準備を怠らないからだ。

 このとき,ケヴィン・スペイシーはチェスをしている。ある1つのルール体系に則るのである。例えば金と権力を分けること。金をもつサンコープ社に関してはお金が出る限り協力する。サンコープ社は権力をもっているわけではないから,協力したり反発したりすることができる。大統領に対しては,表向き反抗することはほぼ不可能である。大統領に反対して失敗することは,自分がいる権力を脅かすことになるからだ。この段階において,ケヴィン・スペイシーのチェス盤に,他のチェスプレーヤーはいない。ルールを共有しているものがいないからだ。むしろ,それぞれのチェスプレーヤーがそれぞれのチェス盤でプレイしている,つまり他のルールで動いていると言える。このとき,ケヴィン・スペイシーはあらゆる対立を認識することがないだろう。予測できなかった事象が起きたとしても,それについて自分のチェス盤で(つまり金と権力を分けるなどの諸ルールによって)それらを裁けばよい。他のチェス盤は他のルールでやっているので,ケヴィン・スペイシーは誰にも期待せずに(あるいは計算できる人物と計算できない人物を分かち)自身の目標を成し遂げる。

 そして,最終話の一つ前で事態は変化する。自身と同じチェス盤に自身と向き合っているチェスプレーヤーが何人かいたことに気付くのである。いやよく考えれば,冒頭で国務長官になれなかったときもまったく同じ轍を踏んでいる。

 実は,まだ最終話を見ていない。ほんとに楽しみである。