常識・習慣の自己啓発
常識や習慣の力は恐ろしい。
常識は,意識もできあがってないころにたった一度起こったことを覚えることで作られる。
習慣は,何度も何度も繰り返して作られる。
常識や習慣を疑うことはできる。何かを学ぶということは,常識・習慣を作ることではなく,まずは常識・習慣を疑うということから始まっている。よく自己啓発で言われるのは,なぜと疑うことだ。『トヨタ生産方式』という本では,ある事象についてなぜを5回繰り返すことで,問題の要因を探ることができるという。自身の行動にこの「なぜなぜ分析」を行うことで自身の行動の効率性・合理性を上げることができる。常識や習慣に囚われて見過ごしていた観点に気付くための技術であろう。
しかし,常識や習慣というものは,確かに強い。例えば,「なぜなぜ分析」も,そういう分析を習慣とすることによって成り立つのだから。そして,常識というのも,それぞれの人間が暗黙の内に見出した人々の行動であり考えであるので,実際の事象と関係なしに常識の力は発揮される。それに加え,なんども常識を疑うことなんてできるだろうか。歯を磨くこととか,あるいは体を洗うことについて,あるいはトイレでのおしりの拭き方について。
常識や習慣をすべて疑うことは,私たちの能力的に,あるいは習慣的に止められているのである。逆から言えば,そのようになぜを止めることが常識であり習慣である。
なぜを止めることで常識や習慣がある。厳格なキリスト教やイスラム教,仏教などが常識や習慣を重視していたのは,理由があるのである(神とは「なぜ」の最終地点なのだから)。