口頭試問

今日口頭試問があった。そこでの議論を,以下にまとめる。

 

1.論文の目的と論文の構成がずれている。

 実際に,最初の興味と最後の興味がかなりかけ離れていたにもかかわらず,どのように構成し直せば良いか最後まで明確にならずにそのまま提出していた。

 具体的には,片上伸を追うと設定し,その影響関係を調べる過程で教育界言説を見ていると,そっちの方がメインになってしまった形である。先生からは,「第一章から第二章が離れすぎ」,もう一方の先生からは「まあ片上伸はきっかけにすぎないんでしょ?笑」と見透かされていた。

 大正期の教育雑誌『教育研究』にたどり着くのが遅かったのと,国語教育の歴史をもう一度見直す理由を思いつかなかったことによる。

 

2.「生命」という言葉が曖昧に使われている。

 大正期,「生命」や「人格」という言葉が曖昧に使われていた。様々な論者が「生命」「人格」が使用したが,その言葉の内実は異なる可能性がある。この言説について調べるのなら,もっと厳密にそれぞれの言説にどのように差異があるかを見なければならないのに,私の論文ではそれを行わず,マジックワードとして機能してしまっていた。これは,鈴木貞美への批判にも使われているらしい。つまり,どれも「生命」「人格」の範囲内と言えてしまうではないか,と。

 生命主義の言説に入るかどうかを,かなり曖昧な基準で判断していた。「生命」という言葉が使われ,「人間の本質として…」とか「総合的に…」という話があると,大体生命主義であるとしていたと思う。

3.その他の歴史的背景とのつながりが薄い

 今回の論文は,様々な範囲で論じることが可能なものだったが,恣意的にその範囲を調整していた。つまり,当然触れられていておかしくない物事を無視し,うまく論にはまる言説だけを論文に取り入れていた感がある。例えば,「旧制高等学校教養主義と,教育界での人格主義・生命主義の言説との関連はどのようなものか?」「「人格」「生命」という言葉は,この後の時代にどのように運用されていったのか?」「なぜ国際主義から,再び国家主義になっていったのか?」などの質問に答えることはできなかった。

 恣意的になっていたのはある程度しょうがないが,質問には答えたかった。実は教養主義との関わりは始めは考えていたが,調べてもうまく関わらせることができずに終わった分野である。今後調べてったら面白いかもー。これは今日気づいたけども対比的に捉えるとよいかもしれない。つまり,旧制高等学校教養主義vs小学校段階の人格主義・生命主義である。階級的なものも透けて見えてくるかもしれない。

4.歴史研究の今日的意義

 面白い話ではあるけれども,わざわざ大正期を調べることで,今日に跳ね返ってくる何かはあるか? という質問。教育者がよかれと思ってしたことが,結果国家主義的になってしまう中で,あなたはどうしますかと聞かれた。当然,どうすればいいかも何もないのだが,とりあえず生徒に考えさせることしかない,読む内容ではなく,読むこととは何か,読んでいる自分とは何かを考えさせるしかないということを話した。

 当然,ここに答えはなく,現時点ではこのくらいしかない。方法論を研究したわけではないので,生徒に考えさせる方法論はこれからである。

おまけ

 今後もっと深めるときに有用な情報をいただいた。

1.有島武郎が,「本能」という言葉を使用している。「本能」によって全生命がつながっているという前提の下,教育論を語っているらしい。
2.第一次世界大戦関東大震災前後の文化ナショナリズムによる国家主義国際連盟発足による国際主義→昭和の戦争に向かう超国家主義という流れがある。生命主義に基づけば,国際主義から超国家主義になぜすんなり移行できたかわかりにくい。ここで,「近衛文麿」という総理大臣を調べるとよいかも。ちょっと白樺派っぽいとこがありながら,超国家的なことを語りだした人である。しかもちょい調べると学生時代は社会主義にシンパシーを感じていたみたいである。この近衛文麿と,マルクス主義者の転向とは,親近性が高い。そこと生命主義の関わりを見てみることがよいかもしれない。
3.生命主義によってエリートでない人たちが,国家主義に動員されていく過程を見るときに,綴方というのも大事な観点になる。今後そっち調べるとよいのでは?