「シニフィアンのかたち」読書メモ⑦

⚫︎奴隷制の補償とアイデンティティ

黒人の奴隷制が、現在の黒人に対して不利益を与えているので、補償すべきだとする考え方がある。これもアイデンティティと強く結びついている。

補償をしても、ある程度貧困は残ってしまうと、誰もが考えるだろう。貧困が黒人のものではなくなるかもしれないが、(能力の劣る)他の人々に貧困がもたらされるかもしれない。このとき、補償を求める人々は「不平等の改正」ではなく、ある社会システムによって不利益を被った人々を救うこと、あるいはそのシステムの結果を破壊しようとしている。つまり、彼らは補償されるべき人々を査定するために、それが誰であるのか歴史を参照するのである。

補償を求める人々が公正さを求めているのならば、上のような理由とは実は無関係である。上の説明では、歴史が補償すべきしないべきを分けるという意味で、不平等を正当化してしまっている。補償や、歴史の利用とは、アイデンティティの敬意を含意し、不平等を正当化するテクノロジーなのである。

対して、あらゆる子どもの貧困はその子どもが関与していない出来事の結果であり、それは是正されるべきであるという考え方は、歴史を現在から切り離し、アイデンティティを無効にする企みである。マイケルズはこのような点(ロールズやセンなどによって繰り返し語られた問題)を強調して、一見左翼的な補償という考え方を相対化する。