自然主義と常識,「ありのまま」アイデンティティ
・国語教育における読方教育が自然主義的な「ありのまま」を基に理論化された(垣内松三)のと同様に,その時代の作文も自然主義的な価値観が導入されていた。形式から内容へという流れも同様である。
「いい文章」ってなんだ? 入試作文・小論文の思想 (ちくま新書)
- 作者: 石川巧
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2010/06/09
- メディア: 新書
- クリック: 7回
- この商品を含むブログ (6件) を見る
・自然主義が犯人であるように見えるが,それは自然主義がそう加工したものである。
・自然主義が万能型理論武装術語であったために,田山花袋も石川啄木もプロレタリア文学もアナキズムも自然主義が出発点であるかのように語られてしまう。
・あるいは,自然主義は伝統主義とも接続される。大正後期の『早稲田文学』は文芸誌から研究誌に傾き,古典や明治文学を扱って日本文学研究の領域を創出しながら巧みに自らをその歴史の中に包むこむ。
・自然主義がこうも強いのは,主観と客観の絶対化を図る点にある。主観も客観もどっちも「ありのまま」にしましょうよ,「ありのまま」にすれば人格的でいいことなんだから。
・これらはある種人々の常識に基いていたのではないのだろうか。中産階級や知識人が納得できる,素朴であることの価値,あるいは貧乏っていいよね的な価値観の反映なのではないのか,なんて疑っている。
・主観と客観の絶対化が,貧困をアイデンティティとするのを妨げてきた(byマイケルズ)というが,大正時代それに続く昭和は,貧困がアイデンティティとなっているような,あるいは貧困が「帝国」への回路であるとされていた時代だった。