文学の教育的価値

高橋一郎『明治期における「小説」イメ-ジの転換--俗悪メディアから教育的メディアへ』

http://ci.nii.ac.jp/naid/40001546992

教育の敵としての小説

「小説あるいは文学は,どのように教育的なのか」。このような問いを発した時点で,私は小説のある種の教育的価値を疑っていない。しかし,小説の教育的価値はつくられたもの,つまり歴史的なものである。明治初期,小説は俗悪メディアだった。

小説類は年少者を耽溺せしめ且つ空想に趨らしめ易きものなれば中学程度の少年には余り有益のものに無[…]候*1

 現代の私たちから見れば,昔ながらの新興メディア叩きの一つとわかる。このように,小説は教育の敵と見なされていた。

 このような小説が,どう教育的価値があると意味づけされていったのか。文学者と教育者の言説から解き明かしていく。

文学者の言説―坪内逍遥

 坪内逍遥は,先駆的な文学理論家であったのに,『教育時論』において「今日の作者の心持が決して戯作的でない,あくまでも真面目であること,そして,文学の応用される範囲ははなはだ広い,日常道徳や人情を教えることから,さらには,外国文学を読むことが国際理解に役だち,したがって,国家の利害にも関係すること」を主張した。*2 近代小説を古い道徳観に沿うように解釈することで,教育に寄り添う。文学者は「小説の及ぼす害毒の原因は,小説そのものにというよりも,むしろ,読書教育の欠如にあること,うまく用いれば小説は道徳教育上も効用があること」を主張するようになる。

教育者の言説

 文学者に呼応するように,教育者側からも読書教育の必要を説く意見が散見されるようになる。文部省は,明治44年に(これは第一回のみで終わったが)「文芸委員会」を設置し,推薦図書を選定することになる。教育的によい図書の認定・推薦がおこなわれたのである。

まとめ

 高橋(1992)は,この小説イメージの転換を,「学生風紀問題に対する教育者の戦略転換―抑圧戦略から訓育戦略への転換―の反映」と見ている。

 しかし,大正10年(1921年)には,湯原元一が東京朝日新聞に「教育対文芸の争闘」という文章を連載している。「倫理の本城を棄てて文芸の軍門に降る」。この論文では,小説イメージの転換はまだ終わっていない。ここから片上伸「文芸教育論」が出てくるのだが,それはまた後日。

 

*1:「京華中学校の生徒取締要項」『教育時論』第562号,明治33年,p.37

*2:「文学の効用」『教育時論』第710号,明治38年,pp7-8