教員生活

私が尊敬する、ある教員がいる。とてもよく知っているが、その方に授業を受けたことはない。

彼は定年間近だが、今でも子どもの対応に悩んでいる。特に、発達障害あるいはボーダーラインと言われる子どもへの対応だ。注意を引きたがる子どもがいる。彼に対応すると学級が置いてきぼりになる。ではどうすればよいか、といったディティールについてだ。このディティールについて、保護者が文句を言ってくる。「先生の言い方が悪い」「授業が遅れている」etc…。

私は身悶えする。これは私の問題なのだ。すでにこの状況を味わっている。そのときは、他の同僚と状況を共有していたから大丈夫だったが、では、担任として1人で立ち向かうことになったら…? 当然私はいつでも恐ろしいのだ。

定年間際の彼でさえそういうことがあるのだ。彼が身悶えしているのを感じる。10年前に、彼の悶えを感じてあげることができていたら、今の自分何か変わっていただろうか。
ともかく、私は私の身悶えを糧にして仕事するしかない。私の身悶えの隣には、子どもを学ぶことへ誘う喜びと実感がある。それらを両手に携え、暮らしていくしかない。

私が彼を尊敬するのは、自身の家庭を壊さず、自身の子どもにある程度の自由を持たせることのできる財産を残したからである。彼の失敗もあるいは尊敬できる点も含めて、彼は私の目標であり、指針であり続ける。