ベイマックス

ずっと見たかったベイマックス。

 

一言で言えば、

・思春期から大人へ

・喪失から再生へ

へ向かう正統ヒーローもの。

 

その正統・王道の物語の特異性は、

・「ギュッとすることの重要さ」

・世界観

ということに尽きる。


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ベイマックスかわええ。
(1番かわいいのは、ベイマックスが最初の鎧を着けてピコピコ歩いてるとき)

「ギュッとすることの重要さ」


敵を殺すか殺さないかということはすべてのヒーローものが通る難関である。少し類型を考えてみる。

・敵は殺してもよい、悪者(異星人、怪物)だから→キックアス、キックアス2、ガーディアンズオブギャラクシー

キックアス2は失敗、キックアス、ガーディアンズオブギャラクシーは成功例である。キックアスは、主人公が普通の青年であったにもかかわらず、殺しに加担する。1の方では、爽快感とともにOKになっていたが、2でチームになることで私刑の胡散臭さが隠しきれなくなった。しかし、ガーディアンズオブギャラクシーは主人公チームがそもそもダーティーな立場にあることで、殺す殺さない問題を解決している。

・敵は殺してはいけない、死んだアイツは復讐なんて望んでない→ベイマックス、バットマン

ベイマックスが正面から描けたのは、兄≒ベイマックスによる。兄が生きているのは、ベイマックス≒人を助ける意志がロボットとして具現化されているからである。兄≒ベイマックスがいるために敵を殺すことができない。チームはそれをサポートする。観客にも必然的であると思えるのは、序盤で兄と弟の絆が完璧に描かれているからだ。こう考えると、なぜバットマンは迷ったりするんだ、とバカに思える(と言っても、バットマンもチームができて安定する。そしてそれを「本来のバットマンじゃない」と言ってチームを壊滅させるジョーカーが出てくる)。

世界観

映画のオープニングで、ロボットバトルが描かれる。その間ずっと、日本とアメリカが混じったような変な空間が映されている。日本語の看板が異常に多い。最初はアメリカに日本が入ったのかなと思ったが、その看板多さから移民国家・ジャパンを想像した。ゴールデンゲートブリッジが社になっているのに象徴されているように、日本とアメリカが折衷されている。移民国家日本を想像してもいいだろう。そう思うと、この世界のなんと素晴らしいことか(主人公みたいな少年いっぱいいるだろうから街中で機械が飛び回ってるんじゃねえかとは思うが)。

「ギュッとすること」と世界観

ケアロボットの思想は、マイナスなことも想起させ得る。様々な人種の中の様々な軋轢がケアロボットを必要とする。兄こそがギュッとされたいのでは? しかし、サンフランソーキョーの世界観のおかげで、そんな軋轢がどうやら存在しないことがわかる。
ではケアロボットの存在とは? ケアによって、家族は拡大されたのだ。兄は生きている。両親はいないかもしれないけど「ギュッとしてくれる」キャスおばさんも、ベイマックスも、チームもいる。「ギュッとしてくれる」人がいることで人は思春期から大人へ成長する。それは家族であっても、あるいはなくても構わない。

この映画を見たとき、後ろの子どもが「あー」とか「うー」とか言っていて、集中できないやばいと思った。しかし、ベイマックスと別れるとき、その子が「かわいしょーにね」と言うのを聞いたのである。少女がいつまでもこの物語を覚えていることを祈る。